あまりに天気がよかったので、パノラマ写真を作ってみた。
なお、父のデジカメなので使い方を詳しく知らず、「風景モード」にすればもっと鮮明に撮れた事は後で知った;

撮影場所:仙台市宮城野区
仙台市の北東部より、東側を約120度見渡せる丘陵。
戦後の高度経済成長期に宅地化されるまでは、ただの山だったはずの場所。
この丘を南方向に下ったあたりでは、藩政時代に藩主が雉狩りなどをしたといわれる。
仙台駅や青葉城跡などは、撮影地点の背後側。
西方向に数キロ行くと、今度は仙台中心部を眼下一面に見渡すことが出来ます。
方角が分かりにくいかもしれませんが、家並みの向きをよく見ると大体の方角が把握できると思います。
夕方近くに撮影したので、太陽の光は西から当たっています。
東北とはいえ、このあたりは特に雪が少なめの地域なので、住宅の屋根の形は関東平野あたりのものに近いです。山間部や日本海側で見られるような豪雪対策は特にありません。
写真上の地点の説明(左から)
▼利府町 平地は結構古い家並みだが、山の方はここ20年くらいで宅地開発が進んだ。
伊達政宗の叔父・
留守政景が居城を築いた。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年)の留守政景

PS2アクションゲーム「戦国BASARA2」のry

(´・ω・)・・・
▼岩切城跡陸奥留守職・
留守氏の居城。
源頼朝による奥州藤原氏征伐後、伊沢家景が陸奥国留守職(留守氏の姓の由来)に任じられる。南北朝以後、その子孫の留守氏の居城となった。
1570年、留守政景が利府城に拠点を移したため廃城となった。
↑北東(石巻市方面)宮城県の東側は太平洋に向かって大きく凹んでいる形で、この方向に牡鹿半島があります。
石巻(いしのまき)は、今では中心部が寂れつつありますが、江戸時代は江戸に米などを運ぶための重要な港だったので、当時は江戸から持ち帰った品々を荷揚げし、さぞ華やいでいたことでしょう。
月の浦からは、伊達政宗の命を受けた
支倉常長の慶長遣欧使節団がローマに向けて出航した。
ちなみにこれは日本人初の、
太平洋と大西洋を横断し往復した一団。その偉業の割にはそれほど有名じゃないのは、ヨーロッパ滞在中に情勢が変わり(キリシタン禁止令)、切ない結末が待っていたからだと思う・・・。
キリシタン禁止令が無かったら、石巻は今の長崎や神戸みたいになってたかもしれないね。
▼仙台塩釜港文字の下に見える、地平線の白い建造物群は、港の周りの工場などのタンクとかです。
▼東北新幹線左が盛岡駅、右が仙台駅方面。この写真を撮っている間にも新幹線が通過して、音が聞こえました。
その周りの緑の平地は、一面の田んぼです。
東北新幹線の仙台→盛岡間で最初に入るトンネルが利府付近だと思う。(私は仙台⇔東京しか乗ったことないw)
▼太平洋の水平線この文字の下にある白い大きな建物は小学校で、その前を通る細くて勾配もカーブも急な坂道を南に歩くと、
比丘尼坂(びくにざか)があります。
1000年の歴史ある街道で、江戸時代に編さんされた「奥州名所図会巻之二」には、比丘尼坂の茶屋の甘酒が名物であると、絵入りで紹介されています。
藩主が塩釜・松島方面に出かける際はこの街道を通り、旅人は馬を休め荷物を整え直す場所だったらしい。
この写真の更に右方向(南)には陸上自衛隊の駐屯地や飛行場があり、先日の岩手宮城内陸地震の直後から、被災地域に派遣されるヘリコプターが毎日のように上空を飛び交っています。